あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」の件です。
一応言っておきたいかなと思いまして。
その問題はいろいろありますが、私なりの見方だけ書いておきます。
- 1.「表現の自由」を「勝手」に決めて「脅迫」する人間が大して非難されないのが大問題
- 2. 「公金」を使っているという非難があるが、それは当たらない。
- 3. 「表現の自由」は何でも表現していいわけではないという、「何でも」の中身は「意味不明の感情論」の「押し付け」であるのが問題
- 4. その上で、「表現の不自由展」を今やるのかというのは微妙としか。
1.「表現の自由」を「勝手」に決めて「脅迫」する人間が大して非難されないのが大問題
「表現の自由」を踏みにじって、何とも思わない日本人が、「思った以上に」多いのに驚きました。
幸い、比較的早く、逮捕は当然されましたが。
日本の「言論」「芸術」への「脅迫」をしても構わないという雰囲気がとても怖いです。
特に、韓国への「賛同」らしきものを「勝手」に感じたら「脅迫」してもよいようなのは完全に間違ってます。
もちろん、ここは日本国なので、韓国が正しいというプロパガンダだけを流すのは非難を浴びると思いますが、「表現の不自由展」はそうじゃない。
そういうのは「法律」により規制するのが正しい。
その手順をすっ飛ばして、「脅迫」していいというのは完全に間違ってる。
日本では「表現の自由」は全く尊重されない、という「象徴」だと思うしかありません。
2. 「公金」を使っているという非難があるが、それは当たらない。
あいちトリエンナーレ自体は12憶程度だそうですが「表現の不自由展」はせいぜい500万弱。
公金なんかほぼ使ってない。
しかも、それでも「公金」を使って特定の思想を表現するのは間違っている人が居るが、それはおかしい。
なんとなれば「靖国神社」の遊就館がそれでしょう。まさしく「表現の不自由展」の逆バージョン。
右翼を体現する展示と言えるでしょう。
これは間違いなく「公金」が使われてる。なんせ警官が常時何十人も張り付いているわけですから。
「公金」を使って特定の思想を表現することが間違ってる、という人は「遊就館」も非難すべきでしょう。そういう声を聴いたことがありませんが。
ちなみに「靖国神社」も攻撃されることはよくあります。最近は少ないようですが。
もちろんながらその「攻撃」も間違ってます。それと同じで「表現の不自由展」への「攻撃」も間違ってると言ってるだけです。
すでに「公金」を使ってる存在は、「表現の不自由展」だけではなく、多くあるかどうかは分かりませんが、「違法」ではなく「穏当」な「表現の自由」がある展示は、そのまま展示できるべきでしょう。
少なくとも「公金」を使ってるから、という非難は当たりません。他に使ってるところはたくさんあるのでは。
一応補足しておきますが、私は「遊就館」をなくすべきとは言ってません。
でも警官が多すぎて税金の無駄遣いだとは思いますね。
3. 「表現の自由」は何でも表現していいわけではないという、「何でも」の中身は「意味不明の感情論」の「押し付け」であることが問題
「表現の不自由展」が「過激」だという人が居ますが、どの根拠で「過激」なのかは、誰も示しません。「その人がそう思ってる」だけです。
「脅迫」は過激ですが、「不自由展」自体は過激ではありません。
もし過激だというのであれば、法で示すべきでしょう。
そして、申し訳ありませんが、これを敵視する理由が私には全然わかりません。
単なる像と、天皇らしき?写真程度で、何が「過激」なのかさっぱりです。
重要なのは「過激」だと思ってる、私には意味不明な人たちのほうが、尊重
される理由が全然わかりません。「脅迫」していいということは尊重
すべきと言っていて、それが全く分かりません。
不快に思うことは当然分かるんですがね。あの人たちはなぜ「過激」だという見方を「尊重」すべきだと思ってるのか?全然わかりません。
4. その上で、「表現の不自由展」を今やるのかというのは微妙としか。
重要性が高いのは上で言った通りですが、ではといって「表現の不自由展」を手放しで喜べるかというと、そうでもないことは確かです。
しかも、津田氏は、なんといえばいいのか、いつもの通り、ある種いい加減な主張する人なので、津田氏の非難については驚きはありません。
時期が悪かったね、、というところではあります。そういう意味で「表現の自由」について現状がどうか、というのをあぶりだしたのが功績かもしれませんが、でもそれは津田氏の功績ではない。。
ということでいろいろな意味が考えされられることに「なってしまつた」というところでしょう。本来ならそういうのじゃないのだろうにと思いますがね。。